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50代技術者の転職活動(5) ~ハローワークから応募してみた~ [雑記]

前回は転職サイトを経由した求人応募活動の顛末でしたが、今回は少し遅れて始めた、ハローワーク経由での求人応募の話です。
ハローワーク(公共職業安定所)で求職登録を行うと、職業相談や職業訓練、セミナー、求人検索紹介などの手厚い就職サポートサービスを受けることができます。これらはすべて税金で賄われるため、無料です。
私は前々回の記事(3)で書いたように4月中旬に雇用保険の給付を受ける時に登録したので、すぐに利用できました。メインのサービスは求人情報検索と求人紹介になりますが、利用手順はこんな感じです。

(1) ハローワークに設置されている端末もしくはインターネット(後述)で求人検索を行う
(2) 気に入った求人があれば、求人票を印刷して窓口に持ち込み、相談を行う
(3) 窓口で相談を行うと、その求人の状況を教えてもらえる (現時点での紹介人数、応募人数、採用内定人数の実績)
(4) 状況を理解した上で、応募を希望する場合は紹介状を交付してもらう
(5) 履歴書、職務経歴書、紹介状をセットにして応募企業に「自分で郵送」する
(6) 書類選考結果が企業から届くのを待つ(郵送または電話・メール)
(7) 結果がOKならば、応募企業とやり取りして面接の日時のアポ取りをする (以下略)

(1)の求人検索は、PCがあればインターネットで行うことができるので、わざわざ出向かなくても大丈夫です。
特に今は新型コロナウィルス感染拡大防止の観点から、なるべく来所しないように指示が出ています。
ハローワーク_ネット_0.JPG
ハローワーク インターネットサービス トップページ
ハローワーク_ネット_3.JPG
求人情報検索画面

求人検索は、勤務地や職種、雇用形態などの希望条件を細かく指定して絞り込むことができて、非常に使い勝手が良いです。画面がシンプルなぶん、下手な転職サイトよりも使いやすい印象です。
検索してみたところ、自分の希望条件に見合う求人がけっこう見つかりました。求人の傾向としては中小企業・零細企業がかなり多いです。ここが転職サイトでの求人との大きな違いですね。理由は求人する企業側でのハローワークの求人登録料金が無料だからだと思われます。

さて、前置きがかなり長くなりましたが、私の活動状況です。
検索で希望条件に合致し、気に入った求人が12件ほど出てきました。前回の転職サイトからの応募結果が芳しくなかったので、はじめからいきなり多数の企業に応募しました。12社全部はさすがにやり過ぎかと思い、優先順位を付けて、7社の企業に履歴書+職務経歴書+紹介状のセットに添え状を付けて郵送しました。これは4月中旬の出来事です。
結果を待つ間はかなりドキドキしていました。すると数日~1週間後に4社から結果を知らせる封筒が続々と届きました。結果はすべて落選…
不採用通知書.JPG
非情な書類選考結果
こんな通知書がホントに届くんだー、と感心していたら、悲しいを通り越して逆に笑ってしまいました。
この時点ですでに4月下旬であり、残り3社の結果待ち。もうゴールデンウィークの連休直前になっていたので、今週来なかったらもうたぶん全滅だな…と思っていたら、残り3社から電話とメールで選考結果の通知が来ました。

今回はここまで。(つづく)
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50代技術者の転職活動(4) ~転職サイトから応募してみた~ [雑記]

今回は、転職サイトを使って企業へ応募してみた、というお話です。
3月に会社を辞めてしばらく無職で過ごすと言ってはみたものの、将来に漠然とした不安があるのも事実です。
こんなご時世ですから、年齢と保有スキルから見て、自分が世の中の企業からどの程度の引き合いがあるものなのか、さっぱり見当が付きません。50過ぎではだいぶ厳しいだろうなーとは思いつつ、半年ぐらいかけてゆっくり検討すればいいや、なんとかなるだろうと当初は軽い気持ちでした。
それどころか、あわよくば企業に就職せずにフリーランスで活動しようなんてことも考えて、一瞬だけ検討してみたりしました。が、それはズボラな自分にはやっぱり無理そうだと思い、すぐにあきらました。

とりあえず、これまでのように企業への就職を目指すことにして、まだ在職中の3月下旬ぐらいから転職ウェブサイトをうろうろし始めました。
実は、前回2013年に初めての転職をした時に利用したサイトのアカウントをまだ残していたので、それを再利用しました。プロフィールと職務経歴を追記して、売り込み文句もちょっとカッコ良く更新して準備OK。職種(とりあえず技術職)や勤務地など希望条件を入力して検索してみましたが、うーん…どうも応募したくなるような案件が引っ掛からない。というか、求人案件がメチャメチャ少ない…。その割にはオファーのメールがバンバン来るんだけど、希望条件範囲からけっこうかけ離れたものばかりが紹介されてきます。
やはり、登録すれば誰でも見れる有名どころの転職サイトの利用だけでは、限界があるのかもしれません。

それならばと、ちょっと本腰を入れてこのサイトが同時に運営している転職支援エージェントを本格的に利用することにしました。独自のウェブサイトと検索システムがあって、前記とは全く別物になっていました。本当は支援担当者との面談も指示されましたが、それはせずにとりあえず検索システムだけを利用していくことにしました。
検索したら…おお、良い物件あるじゃないですか。こっちのシステムは本当に全くの別物でした。表向きは中途採用募集していないように見える企業も、実は裏ではいろいろ募集をかけているんですね。

これは良さげ、思える募集が1社あったので、応募してみました。久しぶりなのでちょっとドキドキ…
この時点ですでに前の会社を退職して、真の無職になった4月初旬でした。

しかし、わずか2日後に書類選考落選のお知らせが来ました。即落ちですね…
うーん、これはヤバいぞ、という感覚が襲ってきました。

クヨクヨしていられないので次に行きます。希望職種は回路設計職なのですが、これ以外にも少し希望範囲を手広くして検討してみました。そして今度は一気に4社同時に応募しました。

がしかし、こちらも数日後に3社の書類選考落ちのお知らせが立て続けに…
やはり50代技術者にはもはや需要は無いのかも、とだいぶガックリきました。
書類選考結果.JPG
書類選考結果のメール(2社同時の落選通知)

残るは1社、しかもそれは希望職種から少し外れた案件でした。かと言って追加で他に応募しようにも、現時点ではもう応募候補が残っていない状態…ちょっと詰んだ感じです。
これはもう長期戦を覚悟し、職種をさらに広げなければ再就職の道は遠いかもしれません。

ところが、この残り1社の案件、なんとも意外な方向に話が進むことになりました。

長くなったので今回はここまで。次回はハローワークから応募してみた話を書きます。(つづく)
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50代技術者の転職活動(3) ~ハローワークに行ってみた~ [雑記]

さて、しばらく無職になることを決め込んだので、当面必要なお金のことをちょっと心配しなければなりません。
少ない退職金が手に入ったものの、これを切り崩して生活するというのも心もとないものです。
というわけで今回は、雇用保険の失業給付金を受けるために「ハローワーク」に行った、というお話です。

ハローワークは正式には「公共職業安定所」と言って、昔は「職安」なんて言い方をしていましたね。
私は今回初めて行くことになったのですが、行く前の勝手なイメージとして「どうせ長時間さんざん待たされたあげくに、窓口で杓子定規なお堅い対応しかしてくれないんだろうなー」なんて思っていて不安があったのですが、実際は全然そんなことはありませんでした。

退職した会社から郵送されてきた「離職票」を持って、4月中旬にハローワークに行ってきました。
私が行った最寄りのハローワークは、市の合同庁舎の中にあったのですが、案内表示に従って進めばすぐに対応窓口にたどり着けるし、窓口のそばにはコンシェルジュみたいな人が立っていて、そこで手続きについて手取り足取り、親切に教えてもらえました。職員の皆さんは腰が低くて、早口ながら丁寧に説明してくれるので、すごく安心できました。変な先入観を持っていてゴメンナサイ、って感じです。
4月という季節柄、同じような境遇の人がやはり多いようで、待合スペースには30~40人ぐらいはいたようです。
ここにいる人はみんな無職なんだ…と思うと何だか複雑な気分になりました。
ハローワーク1.jpg
離職票に添付されていたパンフレット

雇用保険の失業給付を受けるためには、ハローワークへの求職登録が必須になっているので、受給手続きと同時に求職申込み手続きも行います。求職申込書をその場で書いて提出するのですが、実はインターネットで事前に仮登録することができます。これはぜひ事前にやっておくことをおすすめします。そうしないと、「過去の職歴」や「希望職種」など細かいことをすべてその場で書かなければならなくなります。私は良くわからないなりに事前にネットで登録しておいたので、時間が短縮されてとても助かりました。

さて、失業給付の手続きが終わったからといって、すぐにお金がもらえるわけではありません。受給資格があるかどうかを確認するために、4週間ごとにハローワークに「出頭」する必要があります。また、その4週間のうちに実際に求職活動をしたという「活動実績」も必要になります。出頭して、活動実績を確認して初めて資格が認定され、給付金額が確定します。
私も5月の初旬に再度ハローワークに行って、ようやく受給資格を認定されました。
受給の金額や期間は、年齢や直前の収入額によっても違いますが、ざっくり言うと直前の月収の約半分、期間は最大1年というケースが多いようです。

活動実績は4週間のうちに2回以上というノルマがあり、企業への応募/面接、職業講習会や説明会、資格取得などが実績にカウントされます。ただ、現在は新型コロナウィルス感染防止の観点から条件が緩和されているようです。(活動できなくてもOK、出頭せずに郵送でもOKなど)

次回は、その求職活動について書いてみます。(つづく)

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50代技術者の転職活動(2) ~役所で手続きいろいろ~ [雑記]

さて、退職することを会社に伝えて、しばらく無職になることを決心した3月中旬。
ある重要なことが自分の考えから抜けていることに気が付きました。
「そういえば、健康保険証ってどうなるんだ? 子供も扶養に入ってるんだけど…」

調べてみたら、健康保険についてはどうやら2通りの方法があるようです。
(1) 会社の健康保険を継続する(任意継続制度)
(2) 会社の健康保険から国民健康保険(国保)に切り替える
(3) 他の家族(例えば配偶者)の健康保険の扶養に入れてもらう

(2)(3)はなんとなく知っていたのですが、(1)の任意継続制度は知りませんでした。退職した後も、希望すれば会社の健康保険をそのまま継続できるというものです。ただし、継続期間は最大2年間で、しかもこれまで会社が半額負担していた毎月の保険料を自分で全額納めなくてはなりません。自分の保険料を確認してみたら、これが結構な高額で、ちょっとビビリました…

では、(1)任意継続と(2)国保ではどちらが保険料が安いのか?
年齢とか年収でも当然違うし、自治体(市区町村)によっても保険料はまちまちで違うらしいのですが、一般的には国保のほうが安くなるケースが多いようです。そんなところ、こんな便利なサイトを発見しました。
国民健康保険計算機
自分の市区町村と年齢、年収などを入力すれば、国保の保険料を概算で出してくれます。これで出してみたら、私の場合は国保のほうがかなり安いことがわかりました。
じゃあ、国保で決まりかな~と思っていたら、ひとつ問題が。国保には「家族の扶養」という概念が無いので、子供の健康保険証をどうにかしなくてはなりません。しかたないので、今回は子供についてはカミさんの勤務先の健康保険の扶養に入れてもらうことで決着することにしました。

というわけで、国民健康保険の加入手続きをするために、4月に入ってすぐに地元の市役所に行ってきました。必要なものは、会社を退職した時に受け取った「被保険者資格喪失確認通知書」と印鑑です。その場で申請書を1枚書き、自分の受付番号が呼ばれるのを待ちます。この時期は同じような境遇な人が多いだろうから、けっこう待つことを覚悟していましたが、意外と待ち時間は少なく、すんなりと手続きが進みました。ベルトコンベア方式ですぐ隣の国民年金の窓口まで自動的に申し送りされて、国民年金の加入手続きも同時にできてしまいました。
しかも、その手続きをしている間に健康保険証の印刷が行われ、そのまますぐに健康保険証(カード型)を受け取ることができました。てっきり後日に郵送されるのかと思っていたので、この意外なスピード感にビックリしました。いやー最近のお役所仕事は素晴らしいですね!いつもバカにしていてすみません…

今回はここまで。次回は雇用保険をもらうためにハローワークに行ったお話です。
(つづく)

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50代技術者の転職活動(1) ~会社を辞めました~ [雑記]

突然ですが、実は今年の3月末に、約8年間勤めた会社を退職していました。
希望退職者募集に応募する形だったので、名目上は会社都合の退職(=クビ?)になりますが、実際は自ら望んで辞めた、ということになります。ちなみに、その前に長く20年以上勤めていた以前の会社のほうも希望退職でしたが…

辞めた理由は、一言で言うと「コロナ禍」の影響です。
技術職として機器の開発に関わっていたのですが、会社の業績の影響を受けて、出向・転勤により勤務場所を短期間にコロコロ変えられたあげくに、開発案件そのものを取り上げられて「企業内失業」の状態になってしまったのでした。

こうなると、仕事に対するモチベーションはなかなか上がりません。さてどうしたものか、と考えあぐねているそんな時に希望退職の募集案件がポッと出てきました。何だか会社の策略に都合良くはまっているような気もして、ちょっと悩みましたが、意に沿わない仕事をこのまま続けるよりはマシだろうと思い立ち、しばらく無職になる覚悟で退職することにしました。

というわけで、30年以上の社会人生活の中で、初めての無職生活を体験している最中です。とりあえず人生の「1回休み」ですかね。とは言え、年金をもらうにはまだまだ早い年齢だし、家のほうも何かと物入りなので、とりあえず何かで糊口をしのぐ必要はありますね。

そんなこんなで、ここ数か月の50代前半技術者の転職活動について、しばらく書いてみようかと思っています。
(つづく)
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国内遠距離中波局を海上伝搬で受信した話 [受信情報]

先日、国内中波局の受信限界調査についてのツイートを見かけて、非常に興味をそそられました。
(直接リンクは差し支えあるかもしれないので、私の引用リツイートをリンクしておきます)


この受信調査結果のマップを見ると、電離層反射が起こらない昼間の中波の伝搬のしかたは面白いですね。
陸上よりも海上のほうが地表波の伝搬ロスが少なく、遠くまで聞こえることがよくわかります。

これを見て、そういえば自分も実家の鹿児島から沖縄の中波局の受信に挑戦したことがあったなあ、と大昔のことを思い出しました。今から40年前の1981年、私は中学生でしたが、この時に沖縄の民放中波3局を昼間に受信してベリカードを入手しました。
738kHz JORR RBC 琉球放送
783kHz JOXR ROK ラジオ沖縄 (現在の周波数は864kHz)
1251kHz JOTF KHR 極東放送 (現在のFM沖縄の前身)

そもそもの動機は、混信だらけで聞きにくい夜間よりは、もしかしたら昼間のほうが混信が無くて逆に聴きやすいのでは、と思ったのがきっかけでした。そしてこれが大当たり。非常にクリアに受信できました。ただし受信レベルが低すぎて、音声は蚊の鳴くような小さい音だったので、かなり耳をすます必要がありました。

しかしこれは大きな発見でした。特に1251kHzは当時、大出力のモスクワ放送(ウラジオストク)が常用していて、夜間に本土から極東放送を受信することはほぼ絶望的だったからです。

伝搬距離はどのくらいだったのか、ちょっと調べてみました。極東放送(現FM沖縄)のある沖縄県浦添市から受信地の鹿児島県川内市までは約670kmあるようです。そして伝搬経路のほとんどすべてが海上です。
キャプチャ1.JPG

そして、使用した受信機はこちら。(写真は他から拝借)
SONY ICF-110B (IC-11)
私が初めて手に入れたBCLラジオで、調べてみるとICとFETトランジスタを日本で初めて採用したラジオということらしいです。あのスカイセンサーシリーズが登場する前までは最も台数が出た機種だとか。昼間の超弱い中波局が受信できたことをいま思うと、この時代のラジオは非常に高感度だったのでしょうね。

51HzxQxTOUL._AC_.jpg

この時のベリカードがこちら。いやぁしかし、この時に極東放送を受信しておいて本当に良かったです。
まさかこの3年後に中波からFMに鞍替えして放送局が消滅してしまうとは思いもしなかったので…

738kHz JORR RBC 琉球放送
琉球放送.jpg

783kHz JOXR ROK ラジオ沖縄
ラジオ沖縄.jpg

1251kHz JOTF KHR 極東放送
極東放送_表.jpg
極東放送_裏.jpg
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